解説:フィルムの上にさらに多くの映像を焼き付けていくコンセプトのシリーズ。動画によるコラージュ作品と言ってもいいだろう。幕の内弁当のように、過剰な映像の情報が詰め込まれた画面は一見ゴチャゴチャと取り散らかっているように見えるが、視線の中心をどこに置くかによって受け取るイメージは変容していく。 何回も繰り返して見ると、そのたびにまったく違う作品に見えることに驚く。
解説:森鴎外の小説『舞姫』をモチーフにした短編映画。舞姫エリスの目から流れ落ちる黒い涙が、やがて黒い雨になって世界のすべてに降り注いでいくイメージや、バレエシューズが真っ黒な液体のなかに沈んでいくショットなど、この作家のグロテスクであると同時に美しいものへの嗜好があらわれている。エリスが現代の街をさまよい歩くシーンは、じっさいにベルリンで撮影されている。
解説:ボーリング場の上にはたいていピンのかたちのオブジェが看板のように据えられている。所沢スターレーンの屋上に据えられているこのオブジェに注目し、半径2kmほどの円周を地図の上に描いてみる。 その円周上をまわってピンオブジェが見える位置を探し、18の方向から写真に撮って連続した映像にした作品。
解説: 末岡一郎はカメラを持たない映像作家だ。その作品はすでにある過去の映像を加工してつくられる。これをファウンドフッテージ(発見された映像)ものと言う。この作品はフィルムの膜がボロボロになってしまった記録映像を修復し、音楽をつけて作品にしている。 絶え間ない亀裂のもたらすフィルムの物質性と、その後方に流れる叙情性のブレンドが絶妙な映画的触感をもたらしている。
解説:寺山修司の映画の美術や衣装デザインを担当し、近年では長編映画『蒸発旅日記』を監督した山田勇男だが、彼の自主製作映画のモチーフのひとつに「少年にひそむ少女性/少女にひそむ少年性」がある。 この作品は少年モデル・七海遥を被写体に、写真家の遠藤彰が撮影を担当した。白黒フィルムのなめらかな質感のなかに、少年期を脱する寸前のあやうい瞬間が封じこめられている。
解説:一枚の写真を見ただけでは平凡な生物や鉱物の写真も、これをパラパラ漫画のようにコマ撮りして激しく何かがうごめく映像にすると、たとえばそれがフジツボの写真だとわかっていても、無数の鳥のヒナがグロテスクなほどに大口をあけてエサをねだっているように見えて来る。さらに一瞬後にそれが山高帽の大群衆に変化する。これぞチカチカ映像の魔術。
解説:ベテラン揃いの今プログラムのなかで最も若い作家。「脈略の無い夢を見たあとの妙な感覚を書き留とめておくような気持ちで制作しました」との作者コメントからうかがえるように、辻直之の木炭アニメにも通じる夢の文法を感じさせる作品。
解説:浅野優子のアニメは濃密だ。とどまることを知らない濃度の高さに、受け手の感性はむせかえるしかない。詰め込まれたイマジネーションのかたまりが、高速で眼前を駆け抜ける。やたらとテンポの早い映画をジェットコースタームービーと言うが、浅野優子のアニメ作品は想像力のジェットコースターだ。
解説:抽象的な絵が突如変形していって、またべつなかたちになる。それを見ることは快感だ。いったい脳のどこを刺激されるのだろう。ベテラン作家である関口和博は今作でも思う存分、職人芸を披露してくれる。作家コメントは「生きている惑星地球を5つのイメージでアニメーション制作した」。
解説:2005年1月に亡くなった一瀬晴美の作品を、追悼の意味を込めて今プログラムに入れた。手作りのほのぼの感が持ち味の作家だが、あらためて見てみると今井雅幸(やぎ)のオリジナル音楽にきちんとシンクロさせてつくられていることに驚く。 丁寧な創作の姿勢からこの楽しさが生み出されたのだろう。
解説: 球体関節人形の作家でもある清水真理の、自作の人形を使ったグロテスクアニメ。本作は1999年に渋谷ル・デコでおこなわれた原サチコのパフォーマンス「鳥と人形~私が愛に濡れるとき~」で使用された映像をもとに再構成されている。