かつて、乙女坂上の女子校に通っていました。
通学路から1本隣の道や、日々通り過ぎていた寺社が、かつて百貨店であった事や、大切な記念碑や灯籠跡として遺されている事実に触れたとき、学生時代とは違った、新たな景色が私の眼に映りました。
ブラフや境界石は、当時の記憶を辿る手掛かりです。
この場所で生まれ育った人、生業を始めた人、異国から移り住んだ人...激動の時代を生き抜いた人々の営みに想いを馳せつつ、その場所をめぐることで、また1つ道標が出来ていくという不思議な体験でした。
横浜を愛した人々が絵や文章で残したメッセージからは、歴史の重みと共に、この場所がもつ意味を、今ここに立っている私へ語りかけてきます。時を経て景色が変わっても、全ての場所がもつ荘厳さに、祈りにも似た気持ちを感じました。
私にとって、横浜の歴史や過去の人々の軌跡などが幾重にも重なり合う場所で、自分の学生時代の記憶が紡がれていく、とても新しい試みでした。
5年後、10年後、同じ場所を訪ねた時に、どんな気持ちで向き合っているのか、想像するのが楽しみです。(N.S)
野毛といえば動物園しか思い浮かばない私が、話の流れで、本案内書を検証することになり、実際に歩いてみました。
さすがは開港の地、かなりの数の記念碑や歴史案内板が設置されていました。せっかくなので、読みながら辿ってみると、いつもは通り過ぎていたものに当時の政策や人の思いがあったことに気づきます。
今昔を実感できるビューポイントは掃部山公園と野毛山公園の展望台です。掃部山に建立された井伊直弼像は、今はランドマークを見つめています。まるで、これまでの発展を見届けきたかのようです。そして、野毛山公園の展望台から、約350年前は入り海だったという広大な土地を眺めれば、江戸時代に成し遂げられた干拓事業にどれだけの人力が費やされたことかという思いにいたります。
古くからあるものに新しいものが次々に嵌め込まれ、今昔がモザイク模様のように見えてくる、そんな路上観察を楽しむことができました。(Y.S)