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2019.02.26

レポート

【レポート掲載】岡田利規氏登壇 講座「美術館という箱はオルタナティヴな劇場になりうるか?」

「美術館と国際展を巡る連続講座」は今年30周年を迎える横浜美術館であらためてもう一度美術館の機能やその制度的可能性と限界を検証するという趣旨で企画されました。本講座は美術館への期待が拡大するなかで、美術館はそもそもどのような目的の施設なのかを異なる立場の専門家を迎えて検証することが目的となっています。 第1回は「美術館という箱はオルタナティヴな劇場になりうるか?」というテーマで演劇作家であり、小説家、そして チェルフィッチュを主宰する岡田利規さんを迎え、当館学芸員の木村絵理子が聞き手となり話をうかがいました。

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―美術館と劇場のちがいとは?
岡田さんは冒頭「美術館はオルタナティヴな劇場になりたいのか?」という質問を聞き手の木村絵理子学芸員に投げかけました。
そこでまず美術館は、劇場のように古代からあるものではなく、比較的歴史の浅い、近代のシステムであるというところから違いを確認しつつ、美術館と劇場では、観客が同時代の人か、そうとは限らないかというところを出発点に話に進みました。
ここから話は、岡田さんが熊本市現代美術館の公演/展覧会「渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉」で試みた「映像演劇」のこと、表現の同時代性とは何か、あるいは未来の人たちに向けて演劇を作ることは可能なのか?といったトピックへ広がっていきました。


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―「収蔵」あるいは「冷凍されたものを解凍すること」
最後に今年のTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)で行われる「ポスト資本主義オークション」において、熊本で発表した『A Man on the Door』を出品する意味について岡田さんは触れました。
美術館活動では「収蔵」がその活動の重要な柱の一つですが、演劇には収蔵や所有の概念があてはまらないということ。しかし、能を現代語に翻訳する仕事を通して「冷凍されたものを解凍するイメージ」になぞらえて、その「解凍」のイメージこそが時間を超えて、演劇という表現活動を残すことに繋がるのではないかという話で締めくくられました。

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以上のとおり、岡田利規さんの話をうかがい、美術と演劇とでは観客や時間の捉え方が異なることを確認しつつ、演劇的思考のフレームは昨今美術館が課題とする「今、ここにいる観客」に対峙する際に必要な思考を促すひとつの手助けになるのではないかと思いました。

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約100名の熱心な聴衆を迎え、盛況のうちに第一回連続講座を終了することができました。
(横浜トリエンナーレ プロジェクト・マネージャー 帆足亜紀)写真撮影:田中雄一郎

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