アーティスティック・ディレクターメッセージ
ソースSource
ヨコハマトリエンナーレ2020 アーティスティック・ディレクター ラクス・メディア・コレクティヴ
ホワイトノイズ
テレビがアナログだったころ、放送が終了すると私たちはテレビ画面の「砂嵐」にじっと見入っていたものだ。この砂嵐に迷いこむのは、不思議に心地よかった。このサイケデリックなミニマリズムの中では、ありとあらゆるものが見え、また想像することができた。その電子ノイズはつかの間の視覚的幻想みたいなもので、私たちはその中に模様を見つけたり、幽霊の姿を見たりしたものだ。本来の機能とは異なるその画面は、呪われた風景を眺める窓のようなものだった。
当時は知らなかったが、アナログテレビのまだら模様のホワイトノイズの中には、宇宙誕生のきっかけとなったビッグバンの名残である宇宙マイクロ波背景放射という電磁波が含まれていた。自分たちが眺めているのが、時間の始まりとともに放散されていたものだったなんて! 爆発するたびに光の残余、すなわち光の名残が漏れる。とりわけ通信信号が消えゆくとき、その光は姿を現すのだ。
ルミナス・ケア
宇宙では常に爆発が起きている。太古の爆発は今も衝撃波を伝え、小爆発を繰り返し、爆発ごとに少しばかりの放射線が放出される。太陽の爆発は、ある種のサンゴから紫外線の毒性への反応を惹きだす。その光から身を守るために、サンゴは自ら発光するのだ。美しい光のパターンは輝きとなり、負担の大きい太陽の放射線から体組織をケアし、守るのである。
いつか、この生物発光のサインが未知の生命体を理解することにつながると考える宇宙生物学者も現れそうだ。その生命体は、巨大な太陽が発する激しい放射線に晒された太陽系外惑星に棲んでいる。地球の海に生息し、自らの発光で遠く離れた太陽と対話するサンゴのおかげで、私たちは別の太陽のある別の世界に棲む生命の本質について研究できるようになるのだ。
生命、宇宙、世界、そして日々の時間は、数えきれないほどの行為を通じて、分解・再構成され、発光に守られて(luminous care)徐々に再建されていく。短い間の傷も、時間の有毒なかけらが放つ残光(afterglow)の中で回復していく。生命とは発光する独学者(luminous autodidact)なのである。
茂み
2007年6月のある昼下がり、西川紀光――彼は67歳の放浪する不定期労働者、いわゆる「日雇い労働者」で、横浜寿町の木賃宿に身を寄せ、横浜湾の港湾労働者として生計を立てていた――曇り空を仰ぎながら、文化人類学者のトム・ギルと大きな声で笑っていた。彼はこう言った。
図にある宇宙卵はドゥルーズとガタリのアイディアです。
宇宙卵→誕生、だが未成熟→10年20年30年苦しんで修行すると第2の誕生! 生まれてすぐ悟りが開ける人もいる。…… 私の場合は、まだ。……我々は宇宙の一部でありながら、宇宙を創設する ……
プロレタリアの賢者にして造船所の哲学者である西川は、独学で得た莫大なソースを私たちに提供してくれる。それは同時に、横浜の街で生まれ、そこに根づく、大胆不敵な横断的意識から得たものでもある。
西川の遺産は、私たちにとっての「ソース」となる。「ソース」とは参照点であり、また隠喩と探求心にあふれる、行為・素材・痕跡の凝集体である。その「ソース」は、私たちに自問と考察のためのエネルギーを与えてくれる。また、身の回りにある文化的・知的素材を貪欲に漁り、指導者もなしに目覚めていくことで知識を身につけるためのエネルギーを。ソースは、さまざまな弧、ヴィジョン、ことばの間に非競合で平等の立場を設けられるように、またそれらの要素が互いに関わり、感染しあえるようにしてくれる。
ソースはほかのソースを呼び寄せる。そして、旅の、動作の、重点の移動の、小さな変化と大きな変調の旅程を作り上げる。今日の多軸的な世界にあって、これは自由な解釈の領域を開き、異なる傾向どうしの衝突を助長してくれる。トリエンナーレ制作中の長い熟考の過程の中で、ソースを重層化し、アイティネラリーの厚みを増していくと、創造と発掘を推進する力が生み出されることがわかってきたのだ。
私たちは、遠く離れた場所にいる、あるいは近いところにいるヨコハマトリエンナーレ2020の観客やリスナー、および読者の方々に、一連のソースを提供する。これらは異なる時代、文化的背景や地理条件の場から引かれているが、どれも生きることを大切にした個人または集団が書いたものである。きらめきと白熱が集められてパッチワークが作られ、アーティストとその旅の同行者たちが旅立とうとする道のりを照らし出す。ソースは、私たちの対話を導き、活気づけ、インスピレーションを与え、謎をかける。その対話は、アーティスト、キュレーター、作家、そしてこの旅に興味をもつあらゆる人たちとかわされる。ソースとは、私たちに思考させ、火をつけ、学び、そして学びを捨てるような刺激を与える触媒なのである。
明滅する光
100年以上前、ホリプロバ・モッリクという女性が、ある外国人とともに東ベンガル(現在のバングラデシュ)の村を後にした。彼女が恋に落ちたその外国人は、武田和右衛門という旅する商人だった。彼女は彼とともに船出して、日本という新しい世界を驚きと喜びとともに発見する。日本語がほとんどわからないので、最初は沈黙が唯一のコミュニケーション手段だ。わざわざ世界を半周して一緒に過ごすことになった男の家族と友人との出会いは、彼女の記憶に深く刻まれた。私たちからすれば、彼らは、新しい世界の一員になろうと自ら学ぶひとりの女性に照らし出されているように見える。
私たちの友人であり、アーティストで哲学者のスヴェトラーナ・ボイムは、「友情のセノグラフィ」という文章で、ある光について次のように書いている。
……極限の状況においては、光明は哲学的諸概念からではなく、男女が光をともし、与えられたわずかな時間を越えて輝く「不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光」から発するのだ ……。「男女がその生まれの如何にかかわらず、互いの閃光を反映しあう」この光明の空間は、私たちが住む現れの世界に光を放つ人間らしさと友情からなる空間である。言い換えれば、友情とは、すべてを明瞭あるいは不明瞭にすることではなく、影と共謀し、戯れることなのである。その目的は啓蒙ではなく光輝であり、盲目的な真実を探求することではなく、不意に出会う明瞭さと誠実さを探求することである。
ホリプロバは、次のように書いている。
……ひとりひとりがそばに来て挨拶をする。若い人も年とった人も皆、帽子を取って正座し、頭を深く下げてお辞儀をする …… 挨拶をかわす。ひとりひとりが名を名乗って挨拶し、こちらの体調を気遣い、感謝と喜びを表す言葉を口にする。何かを尋ね、答える度に3~4回は頭を下げあうのがこちらの習慣である。私は日本語ができないので、黙ってただ頭を下げるばかりだ。……
見知らぬ人にどのように声をかけたらいいかわからなくても、自ら輝くことはできる。一日の労働を終えた体に光る汗からも輝きが放たれるように、あるいは自分の影を分かち合い、細長い空間で相手の影から自分の影が逃げていくときに映し出される光の輪郭のように。
知の形式は、翻訳不可能な経験とせめぎあうことから生まれる。
反百科事典
中世の時代には、南アジア・西アジア・中央アジアと中国・朝鮮・日本との間で、思想や絵、物語やものの考え方が、僧侶、異端思想家、商人、船乗り、巡礼者、逃亡者、奴隷といった旅する独学者たちによってやりとりされていた。
珍しい出来事、そのしるしとそれらを回避する方法の説明
象、発情期の象の死、象の状態と病気の説明
音楽、旋律、旋法、108のリズム、それぞれの長所と短所……の説明
神秘的な旅、瞑想、エクスタシー、奇跡、スーフィ―から与えられた14軒の家……の説明
『ヌジューム・アル・ウルーム(諸学の星々)』という16世紀に南インドのビージャープル王国で編纂された占星術百科事典では、星を見つめることは友人をケアするときの治療薬となるとされている。そのテクストは、インド、アラビア、ペルシャ、トルコ、セムの生きた知識から派生した思想や実践を寄せ集めた内容となっている。
種まきと造園の説明、東風と東風が原因で発生するペストのための薬の説明
医術、病気、痛みの説明、簡便な治療薬と複合的治療薬、病気の原因……の説明
インドとホラーサーンのレスリング、技、流儀と礼儀の説明
南インドの夜空を照らすことばは、ヒンドゥー、ホラーサーン、ウィグル文化、トルキスタン、アラビア、古代ギリシャなどの地域の語彙から発される。ことばは、もとの文化圏から枝分かれし、交配する。移動に伴ってコンセプトを生み出しては、増殖する。呪文と処方箋はサンスクリット語、トルコ語、テルグ語、フランク族のことばで註解されている。その註は必ずしも翻訳されているわけではないが、コンセプトをあらわす異語で註解され、拡張していく。
火薬の説明と種類、火薬の作り方の説明
香水の作り方、方法論、種類と性質の説明
天文学の暦から書記システムに至るまで、私たちには世界が遠く離れた隅の方まで光を照らしているのが見える。そこで使われているのは、異なる成分を吸収する内在的ながらあまねく広がるエネルギーだ。とてつもなく遠くにあるものをつなげる行為には、膨大かつ永続的な意義がある。この驚くべきテクストの「目次」は、知り得たものと想像で書かれたものの間に内的・外的な境界をもたない宇宙の見取り図なのである。
夢の解釈の説明と真実と偽りの夢の説明
『ヌジューム・アル・ウルーム』があらわす森羅万象には、ほかのものと比べて、特に大きいものも近接するものもない。同時に、小さかったり遠くにあったりするものもない。ここでは行動どうしのきめの細かい網目のようなつながりが受け入れられている。創造的な活動のひとつひとつが、問いのひとつひとつが変化をもたらすソースとなりえ、その変化のひとつひとつが熟考を形作る瞬間をあらわしている。
詩の韻律、リズム、その他詩に関するいろいろなことの説明
寓話と伝奇の説明
商人と職人の技能の道具やわざの説明
実践のしかた、思考の形式、文化的・歴史的来歴のいかんによって意味のあるなしを規定するような既成のヒエラルキーは存在しない。自分の知っていることをシェアする人は、あるいは自分の知らないことに興味をもつ人はみな友だちになれるし、友だちをケアすることもできるのだ。
漁師のアドバイス
1945年8月に長崎に原子爆弾が投下されたとき、下村脩は長崎郊外に住む16歳の少年だった。近くの諫早市で目撃したその目のくらむような閃光を彼は生涯忘れることはなく、そのとき一時的に目が見えなくなったとのちに語っている。彼はその後生命体のなかから光が発生するという生物発光の研究の道に進み、生涯をかけて光と生命の関係性を追求することになる。最初は有機化学を専攻し、ウミホタルの研究にいそしんだ。
生物学者、海洋学者、漁師……のアドバイスの協力を求めることを勧める。
下村の研究でもっとも重要な発見はウミホタルの研究以降のこととなるが、その研究を支えたのは、1万匹のクラゲだった。彼はその1匹1匹を丁寧に観察したのだ。彼が漁師と友だちになることをさかんに勧めるのも、驚くには値しないだろう。
オワンクラゲから単離、精製することに成功して発見された蛍光タンパク質(GFP)は、その後実地に応用され、ある遺伝子が発現しているかどうかを容易に判別するレポーター遺伝子の通告により、水域の汚染状況と有毒物質の水準を測るために利用されるようになる。レポーター遺伝子に「移入」された生命体は「発現」し、有毒な物質の存在に反応して「発光」する。この技術は、それ自体では無害なので、バイオセンサーとなり、水界生態系の健全性を維持するための生体レポーターとして重要な手段となった。
分割
サンゴは紫外線の毒に対して発光し、オワンクラゲは毒性を探知するレポーター遺伝子を集めるために採取される。発光と有毒性の間にはつながりがある。
死んでいるなら毒性について考える必要はない。生きた細胞を成長させる条件は、その衰弱を惹き起こす環境とも切り離せない。私たちは、環境、内部要因、外部刺激など、成長をしのぐほどの、あるいは抑えるほどの衰弱を惹き起こすものを毒性と呼ぶ。
それは毒であったり、汚染であったり、治療(矯正)であったり、廃棄物であったり、抑えがきかなくなるほどの成長であったりする。
毒物も、排除とヒエラルキーをシステム化する礎となる。インド半島の文明の毒物と生命の関係をめぐる深淵な非-思考を繰り返さぬよう学ぶことができる。それは何千年もの間続いてきたし、今でも続いているのだから。毒物が多勢の人にとってのお荷物になっている一方で、ごく少数の人はまったく汚染されぬままだ。排泄物や死骸から発生する臭いや毒素に汚染されないよう生物圏を清潔に保つという困難な仕事はかくして分離された。死を、感染症を、人間と動物のし尿を、生産物のかすを扱うことは、時間・権力・財をもつ人の仕事では、すっかりなくなってしまった。
闇の部分を分かち合うことはなくなってしまったのだ。
生命のケアと自己のケアは、毒とともにケアすることなしには成立しない。私たちは、自分たちの抱える病、屍肉、生産と消費のサイクルが出す残留物について考えなければならない。そのとき、運命という名に隠された残酷な労働区分をしてはならない。都市郊外に広がるゴミの山はどれも、現在が生み出した未来への需要を表している。だが、そんな未来には報われる保障もない。せいぜい考古学者たちがやって来るぐらいだろう。ケアする光と毒のもつ闇の部分を分割することは、この惑星の生命体の未来に対して害をなすのだ。
有毒な光
原子炉のメルトダウンが起こす不思議な現象に、経験はできるが目では見ることのできない光輝(glowing light)の知覚というものがある。チェレンコフ効果として知られるこの現象は、メルトダウンもしくは「臨界」時に荷電粒子が誘電体の内部をその物質内での光速よりも速く進むときに放射される光によって現れる。そもそも核物質から放射された光速より速いものが眼球の硝子体液を通過したときに現れる「蒼い光」は、眼球のなかの「経験」が脳に伝達されて知覚されるもので、視覚的現象として「見る」ものとは異なる。目が、目の外の、あるいは目の前の光を知覚していたとしても、人間が目にするという環境で起きたことではない。宇宙飛行士たちも太陽が宇宙で原子爆発する際に放射される太陽放射で同じような経験をすることがある。
その光は、美しいには違いないが、有毒な放射能のマーカーでもあり、ヴィジョンとして経験されるのだ。この亡霊のような光は、福島の原子力発電所の事故の後にも経験されたといわれている。私たちの理解では、現代という時代のもつ毒性は、この亡霊のような光を育むことと出会わされなければならない。アーティストはこの光輝を、その美しさと危険性を感知しようとする。そのおかげで、私たちは常に身の回りで起きているあらゆるメルトダウンを見ることができ、これから生き抜くための――あるいは繁栄していくための方法を学べるようになるだろう。私たちは毒性と共存する生き方について考え始めなければならない。それを追放することは愚行だという自己認識に立たなければならないのだ。
翻訳不可能なことば―オントシラ
ベンガル語の「antashira(オントシラ)」ということばは、内在的な流れとあまねく広がる感覚を表すときに使われる。この流れと感覚は、日々の暮らしの中に流れる知覚の層を作り出す。オントシラは、「気」のように、神経系のエネルギーの流れに似たものだ。「オントシラ」は、そのすべての広がりの中に生命を形づくる。今日、世界は、さまざまなオントシラの中から持続性とインスピレーションや力を引き出さなくてはならない。オントシラは、私たちの内在的であまねく広がる力であり、私たちすべての間を流れていく。その流れにつれて、私たちは、個々の生のミクロコスモス(小宇宙)と、この惑星というつながりあった生命と、宇宙というマクロコスモス(大宇宙)の関係を作り直すのだ。
参考文献:
The Big Bang’s Playing on TV
https://www.nasa.gov/vision/universe/starsgalaxies/cobe_background.html
Jack T. O’Malley-James and Lisa Kaltenegger, “Biofluorescent Worlds – II. Biological fluorescence induced by stellar UV Flares, a new temporal biosignature,” Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, Volume 488, Issue 4 (October 2019), pp. 4530–4545.
Tom Gill, Yokohama Street Life: The Precarious Career of a Japanese Day Laborer [Asia World Series of Publications] (London: Lexington Books, 2015).
和文はトム・ギル『毎日あほうだんす――寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界』(2013年、キョートット出版)より抜粋。
Svetlana Boym, “Scenography of Friendship,” Cabinet, Issue 36 “Friendship” (Winter 2009-2010)
Online article: http://www.cabinetmagazine.org/issues/36/boym.php) (清水知子訳)
Hariprabha Takeda, Bongomohilar Japan Jatra (A Bengali Woman’s Voyage to Japan), first published in Dhaka, 1915. Reprinted by Sahitya Prakash Publishers, Dhaka, 1999. English translation from Bengali by Debjani Sengupta, commissioned for Yokohama Triennale 2020.
ホリプロバ・タケダ「あるベンガル婦人の日本訪問記」『遡河』第10号(富井敬訳、1999年、遡河編集部)
Emma Flatt, “The Authorship and Significance of the Nujūm al-‘ulūm: A Sixteenth-Century Astrological Encyclopedia from Bijapur,” Journal of the American Oriental Society , Vol. 131, No. 2 (April-June 2011), pp. 223-244.(帆足亜紀訳、矢野道雄 翻訳監修)
Osamu Shimomura, “Advice to Students Who are Interested in Studying the Chemistry of Bioluminescence,” Bioluminescence: Chemical Principles and Methods (Singapore: World Scientific Publishing, 2006), pp. 375–378. (帆足亜紀訳)
Raqs Media Collective, “The Equal Division of Toxicity,” Livemint (29 August, 2018)
Online article: https://www.livemint.com/Leisure/JuxEvOeT79uyhy5q75DRbI/Raqs-Media-Collective-dreams-of-an-equal-division-of-toxicit.html
E.D. Clayton, Anomalies of Nuclear Criticality, Revision 6 (Washington: Pacific Northwest National Laboratory, 2010).
Kimura, Toshihiro Takatsuji, Koji Uchiyama, Yukako Komasa, Akiko Kitamura, Hitoshi Sato, Michael Buzinny, “Current Situation and Challenges at Fukushima: Hands-on Measurements of Radiation Contamination after Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant Accident,” presented at the 20th IMEKO TC4 International Symposium and 18th International Workshop on ADC Modelling and Testing Research on Electric and Electronic Measurement for the Economic Upturn, At Benevento, Italy, September 15–17, 2014.
Online article: https://www.researchgate.net/publication/266140667_Current_Situation_and_Challenges_at_Fukushima_Hands_on_Measurements_of_Radiation_Contamination_after_Fukushima_Daiichi_Nuclear_Power_Plant_Accident