1962年10月20日東京生まれ。科学者、作家、ブロードキャスター。
東京大学理学部法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。
理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。
「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文藝評論、美術評論などにも取り組んでいる。
美術展を訪れることは、つまり、すべてを忘れた後に残っている「何か」だと思う。
オープニングで、マイケル・ランディの《アート・ビン》に参加し、自分の「作品」を捨てた。これは、数年前に知人へのお祝いにしようとキャンバスに描き始め、10分くらいで「あっ、これは成立しないな」と諦めて、そのまま放置していたもの。鳥の絵である。
自由になれよ、と鳥を巨大な「アートのゴミ箱」の中に放り投げた。
棄てるということは、つまり、自分からそれが離れていくということ。ところが、体験というものは、自らそれを棄てなくても、向こうから離れて、やがて霞んでいってしまう。
この文章を読むあなたが、私と同じように、ヨコハマトリエンナーレ2014の会場を訪れたとしよう。
あなたは、バス・ヤン・アデルの、枝からぶらさがってやがて落ちる「愚かな行為」にニヤリとし、ジョン・ケージの《4分33秒 / 4'33"》の楽譜に興奮を覚えるかもしれない。やなぎみわの移動舞台トレーラーの造形に心を奪われ、松澤宥の概念芸術に、心の量子的飛躍を感じるかもしれない。そして、大竹伸朗の巨大なオブジェに、心を揺さぶられるかもしれない。
しかし、すべてが終わった後で、あなたが微笑みとともに会場を後にし、友と語り合い、杯を傾け、日常に還り、ある日、ふと、「そういえばヨコハマトリエンナーレ2014に行ったな」と思いだした時、あなたの中には、何が残っているのだろうか。
「世界の中心には忘却の海がある」。世界とは、私たち自身のことだ。すぐれた作品とは、その大海に垂らされた、一本の「銀の糸」のようなものだろう。
その「銀の糸」で、過去をたぐり寄せる。そこには、たくさんのものがまとわりついてくる。あなたが忘れていた夢。散ったと思っていた希望。大切なあのひと。
あなたは、横浜に行くのではない。あなたという世界の中心に向かうのである。すぐれた作品は、あなたのかけがえのない過去をたぐり寄せる「銀の糸」となる。
私の鳥は、《アート・ビン》の巨大な檻の下層に眠っているけれども、私と鳥の間には、目に見えない「銀の糸」がつながっていて、いつでもそれをたぐり寄せることができる。世界は、どうやら、そのようにできているらしい。
あなたも、ヨコハマトリエンナーレ2014との間に「銀の糸」をつくるために、会場に出かけませんか?
アーティスティック・ディレクター 森村泰昌よりお返事
茂木健一郎 様
《アート・ビン》への投棄、ありがとうございました。私も何度かアソコに捨てながら、「捨てる」ってなんだろうかと、考えさせられました。「作る」とか「創造する」とか、芸術もまた、そういう生産的な行為であると、一般的には思われているようですが、マイケル・ランディは、「捨てる」とか「破壊する」とか「消滅」とかに興味を持つ、不思議な作家です。ものすごくラディカルなことやってるのに、本人自身の雰囲気は、悟りを開いた仏教の僧侶みたいで、そのギャップも私は好きですね。
おもしろいのは、「なにか作品を捨てていただけませんか」とお願いすると、「それはおもしろい」と即座に賛同の答えが返ってくるばあいと、「その考えには賛同できない」と、しっかりノンを表明するひとにわかれるという点です。どちらが正しいかではなく、《アート・ビン》を前にすると、そのひとの価値観があらわになるという点が、おもしろい。
茂木さんに、《アート・ビン》への投棄に関わっていただいて、ほんとによかった。ありがとうございました。