1965年、静岡県生まれ。俳優。慶應義塾大学法学部卒。
90年、日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビュー後、映画・TV・舞台・ラジオ等で幅広く活躍中。
近年では、「レ・ミゼラブル」「ナイン THE MUSICAL」「ミス・サイゴン」「ユーリンタウン」などの大作・話題作の舞台に多数主演。
2010年4月、第1回岩谷時子賞奨励賞授賞。1999年より、日本発の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル」を主宰。
映画祭への取り組みから、文化庁長官表彰を受賞。観光庁「VISIT JAPAN 大使」、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員、
カタールフレンド基金親善大使、横浜市専門委員に就任。
美術館へ赴く機会はどうしても限られてしまうのですが、僕にはショートフィルムの映画祭というライフワークがあるので、その活動を通して世界の映像作家達と出会ったり、新しい映像のテクノロジーに触れるチャンスは多くあります。
僕が意識するというより、彼女から教えられることが多いです。例えば水遊びをしていて、水面を叩く音や光の反射に彼女が反応し、何かを発見するのを見ていると、自分の子供時代を追体験している気持ちになります。滑り台、砂場、思いきり走ること。子育ての機会を得なければ忘れたままだったでしょうね。
「忘却」は人間にとって究極の安全装置だと思います。辛い体験をずっと同じ純度で抱えながら生きるのは苦し過ぎる。実は、記憶は自分にとって都合よく再構成されているような気がします。辛かった経験を少しずつ忘れながら再構成した結果、「美しい思い出」に変わることもあるのではないでしょうか?「忘れないで」という思いも大切ですが、忘れられることなら忘れてしまっていいのかもしれません。
非常に面白かったです。構成の面白さもあったし、画角やフィルムの使い方も興味深かった。自らのヌード写真を残した女性の存在を軸に、まるで歴史を象徴するような写真館の老主人が自分の記憶を呼び覚ましていく描写も魅力的でした。
当時の社会の抑圧や倫理観などが背景にあったとは思いますが、同時に日常から解き放たれた時に現れる、人間の本性のようなものも感じました。これは現代でも同じで、リアルな人生では成し得ないことを非日常で具現化しようとする力を、人間は誰もが持っているような気がします。僕は俳優なので、芝居という非日常を飛躍しながらバランスを取っていますが、一般的には僕のような機会を得ることは難しいでしょう。だからこそ、アートを通して非日常空間に入ることが、多くの人にとって大切なのだと思います。
彼がとてもアイロニックに写真の歴史を語っていたからです。レタッチを否定しているけれど、もっと昔から見れば写真自体が科学合成されたものだし、私意の入った表現なわけですからね。
写真にもショートフィルムにも、時代や物語を真空パックするような力があります。でも、そこには人間の本質的なエゴが含まれているのかもしれない、とも思います。もし、ヌードを撮る女性が「自分の美しい時代を切り取りたい」という欲望を写真の力で満たすのだとすれば、それも「止まらない時間を思い通りに止める」という一種のエゴと言えるのかもしれません。
まず、冒頭の「捨てる」アート(マイケル・ランディ《アート・ビン》)に驚かされました。作品を巡りながら、アートの既存の枠組みを問い正されているような気もしました。今日、僕の身体に入った感覚は、細胞の奥の遠い記憶と繋がって、次の映画祭や俳優としての表現にアウトプットされていくような気がしています。
もちろん家族と来たいですが、自分が関わっている若きショートフィルム作家達にも観せたいです。彼らがどんなインスピレーションを得るのか知りたい。きっと多くのヒントを得るはずですから。
2014年9月26日
ヨコハマトリエンナーレ2014
新港ピア会場 カフェ・オブリビオンにて
聞き手/文責:横浜美術館広報渉外チーム 襟川文恵
・人の言葉、表現を封殺しようとする者は、必ずやいつか自分も封殺される!言葉も表現もチカラで消しても必ずまた芽吹く!
焼き放たれた野山の木々が芽吹くのと同じように!
・燃やしても、その本の中にある言葉は消えない!燃やせば、尚更 その中に書かれた熱い言葉が人のココロに火をつけて世界に広がる!
アーティスティック・ディレクター 森村泰昌よりお返事
別所哲也 様
御来場ありがとうございました。
アクラム・ザタリの《彼女に+彼に》をじっくり御覧いただけたようで嬉しいです。
この映画、いろいろと深読みが出来るなと、私はとても興味深く観ることができました。
私の妄想的批評をお話します。
あの、頻繁に登場する、女性のセミヌードの写真ですが、あれはきっと、あの写真館のおじさんのセルフポートレイトです。だから、タイトルが《彼女に+彼に》なんです。
もちろん、体は他の女性です。そこに写真館のおじさんが顔に女性メイクして、合成したのです。
それを臭わすいくつもの布石がこの映画には散りばめられている。例えば、別所さんも言及なさっていたレタッチです。昔の写真はみんなレタッチしたものさ、というようなことを写真館のおじさん言ってます。あの人、レタッチの達人。自分の女性メイクの顔を、女性の体に合成することなんて朝飯前ですよ。
昔はたくさんセルフポートレイトを撮ったものさ、とおじさん言ってます。そしてそういう写真もたくさん残っていた。女装写真があったっておかしくはないが、それはきっと「彼の」秘密の世界なんでしょう。
ときどき、スティールの写真がポジからネガになったり、重なったりしますね。そしてなんだかムズムズするような音楽が流れる。あれはいったいなんだろうと、最初はわからなかったんです。でも、あれは、男と女が反転したり、重なったりするメタファーだとすれば、すべては納得できる。
ともかく、あのおじさんは怪しげで一筋縄ではいかない人物。アクラムは、そういうものにこだわる作家です。レバノンの作家ですが、複雑な政治的背景とともに、セクシュアリティというテーマが深く関与して、重層的な世界を作っている。おもしろい作家です。
ところでヨコハマトリエンナーレ2014では、「映像プログラム」と題して、展示とは別に、さまざまな映画をレクチャーホールで上映しています。映画と美術、しだいに垣根がなくなってきています。横浜美術館で別所さんの主宰するショートフィルムの展覧会とかあったらいいな。ぜひ考えてみていただけませんか?
御来場、ありがとうございました。お会いしたかったなあ・・・