1984年広島出身。女優、監督、映画プロデューサー。
慶應義塾大学在学中に留学先の韓国で映画デビュー。2010年「歓待」(深田晃司監督)、2012年「おだやかな日常」(内田伸輝監督)他多数を女優兼プロデューサーとして世に送り出し、国内外で脚光を浴びる。2011年に東京国際映画祭で、2013年に台北映画祭で特集上映が組まれた他、2012年以降エジンバラ、ロッテルダムなど数多くの国際映画祭の審査員に任命される。監督兼主演兼プロデュース作「マンガ肉と僕」が公開待機中。
数年前から『忘却』という映画を構想している。記憶に翻弄される男女の物語。そういうこともあって、ヨコハマトリエンナーレ2014の「世界の中心には忘却の海がある」というタイトルが、自分にとってはごく自然な言葉のように感じた。
忘却の海を漂いながら、言葉にならない気持ちに遭遇した。奈良原一高氏の《沈黙の園》(注1)と《壁の中》(注2)という作品が、心にこびり付いて離れなくなった。前者は男子修道院で、後者は女子刑務所で写した写真。一見対極にある人間や空間を切り取っているはずなのに、近しいものが見えてくる。何故この作品に惹かれるのか、この混沌とした感情をちゃんと説明するのは難しい。修道院の人々は原罪を抱えながら祈り、刑務所の人々は罪を償いながら刑に服す。ある種、極限に置かれた彼らは「罪」という意識で繋がっているのかもしれない。もしかしたら、両者とも「罪の意識を消し去りたい」という願望があるのではないか。そんなことを想い巡らす。
何かを忘れたいという気持ちは誰にだってある。私は仕事を始めて、かなり忘れっぽくなってしまった。身体の機能の問題というよりも、培って来た処世術なのかもしれない。怒りや悲しみは一つ一つ積み重ねていくよりも、一つずつ忘れていかないと耐えられないから。何かを忘れようとする行為が人を救ってきたのかもしれない。悲惨な出来事の当事者の中には、その記憶を失くそうとすることで精神の均衡を保つ方もいる。広島で被爆した私の祖母も同様である。アウシュヴィッツでも、生き残ったという「罪の意識」と闘い続ける方々が沢山いる。奈良原氏の写真は、そんな彼らの表情を思い出させた。
アーティスティック・ディレクターの森村泰昌氏は、「芸術とは、忘却世界に向けられたまなざしの力のことだ」と仰る。私は自分が作る映画にどのようなまなざしを向けているだろうか。正直、制作過程において自分の映画を何度も見返すことが苦痛でならない。映像の中には自分が本当は忘れてしまいたいような鬱屈とした怒り、劣等感、疑いなど、自分自身の膿ともいえるものが映り込んでいるからだ。しかし、私は映画を完成させるために、そして自分の中から流れ出たものを昇華させるために、作品と向き合い続ける。その執着こそ忘却への願望なのかもしれない。
(注1)奈良原一高《沈黙の園》(「王国」より)1958年(1997年プリント)
(注2)奈良原一高《壁の中》(「王国」より)1956-1958年(1997年プリント)
アーティスティック・ディレクター 森村泰昌よりお返事
杉野希妃 様
奈良原一高「王国」シリーズに惹かれたとのこと。これは、1950年代後半の作品なんですね。トリエンナーレとかビエンナーレといった大きな展覧会というのは、どうしても、今の表現のトレンドの紹介に終わるといった傾向になってしまいがちなんです。ですから、今回のヨコハマトリエンナーレ2014、これはトリエンナーレではなく、大型の企画展だとおっしゃる方もいらっしゃる。でも、かつての作品や、もう亡くなってしまったひとの作品のほうが、かえって現代の私達自身や私達の社会に鋭くメスを入れる結果になるということ、これは頻繁におこることです。奈良原さんの「王国」は、まさにそういう時代を超えた作品であると思います。
ここでは、「王国」とは、我々のフツウの日常生活から切り離された、なにか隔離された世界のことを言っていて、それが、男性修道院と女性刑務所に象徴されている。それが現代になると、孤独死やネットカフェ難民や、そういう場所へと移り変わるけれど、でも奈良原さんの撮った「王国」的なるものは、やっぱり今もあるんじゃないでしょうか。
杉野さん、「忘却」という映画を構想していると書いておられました。このたびのヨコハマトリエンナーレ2014からなにか「忘却」というテーマについての手掛かりのようなもの、見つけ出されたでしょうか。もしそうなら、とても嬉しいです。次回作、楽しみにしております。