展覧会主旨
ゲームの規則
世界各地で展覧会が開催され、それらを要約することはほぼ無理な状況のもとでも、そこでなにかが起こるという本来のあり方を強く打ち出す大規模な展覧会は、新たな意義を与えることができる。ビエンナーレ全般は、かつてのように人を引きつける磁力をもたない。それというのも、誰もそれらを見ていくことができないほど、数が増えすぎてしまったから。同じ作品があちこちで見受けられることもよくあるし、そうなればいずれビエンナーレに足を運び、その場に居合わせる必要もなくなってしまうだろう。どこに行っても同じようなものが並んでいるのが実情だからである。理論上ではなく実際面から「ゲームの規則」が必要になる理由はここにある。それはおそらく引き金、あるいは人々を呼び寄せる仕掛けと呼んでもさしつかえないだろう。とはいえ、なにかしらを見るか、参加するためにわざわざそこまで行ってみようという気をみんなに起こさせるような催しを一定の期間内に日を決めて行うだけでは、まだ十分とはいえない。オープニングというものはすでに社交の場と化して、展覧会の内容とは無縁なものになってしまっている。横浜トリエンナーレのオープニング・イベントとして計画された三日間の催しは、すでに世の中に定着して久しいそのような意味合いでの「社交の催事」ではない。この三日間は美術作品と直に接しそれを体験することにほかならず、どうしてもその場に居合わせる必要性をもつ。パフォーマンスや一定の時間が過ぎると消えてしまう作品の場合、非常に多くの人々がそれを見損なう結果に陥りがちである。このオープニング・イベントが重視されるのはそのためであり、展覧会の会期全体に分散させないことにした理由はそこにある。会期を分散することで、来場者全体のうちのごく一部の人たちしか作品に接することができないからと予想されるからである。
これは試行錯誤の上でたどりついた計略ではない、むしろ、アーティストたちの現状の制作活動のなかでは、欠くことのできない要素なのである。アーティストの多くが作品に時間の要素をとりいれて、作品のあり方を押し広げている。鑑賞者にその場に「居合わせる」ことを求めるばかりでなく、従来とは異なる作品の感じとり方、さらには美術界の構造を見定めることまで期待する。多くのアーティストが共通して「無媒介の(自然発生的な)経験」に深い関心を抱いてる。フィルムに頼る傾向がきわめて強かった1990年代を経て、今日ではかつてこのメディアを追求したアーティストたちが媒介を排した経験を大切にしたいと主張するようになった。とくに最近ではパフォーマンスの写真撮影を制限あるいは禁止したり、パフォーマンスの行われる場からテレビ・カメラを完全に締め出すアーティストがいることも知られている。アーティストの考えは作品を制作し、それを発表することに対して時間がもつ意味合いばかりでなく、ある決まった時間にある決まった場所に人々が集い、ともになにかを作り上げるという、集団としての人間のあり方にまでおよぶ。若手アーティストの多くがしばしば作品の制作に共同で取り組んでいることも、こうした関心の表れだろう。ここで問われているのは、美術界の制度がアーティストの役割を完全に横取りしてしまった状況下で、これまでとは違う美術作品の作り方、扱い方をどう確立するかである。現在は作品を提示することが極めて重要な意味をもつ。その瞬間が成立する場を提供することが非常に重要である。
媒介を排した経験をもちだすと、わたしたちの試みは「直接性」の類のいささか幼稚な考えに逆戻りしているのではないかと誤解されやすい。この数十年の間に、美術作品の制作、理論、哲学のすべてが「直接性」やら「所定の事実」なるものは存在しないと声高に主張してきたことをわたしたちは知っている。自然過程の直接的な認識等というものはどこにも存在しない。物事はいかなる場合でも文化、言語、科学技術等の媒介を受け、フィルターをかけられる。それにもかかわらず、まったく何の前触れもなく、何の仲立ちもなくやぶからぼうに襲いかかり、わたしたちにはどうコントロールし、目算をたて、あるいはそれから身を護ればよいのかわからないために、きわめて切迫した印象をあたえるものが存在する。これが最大の苦しみと痛みをもって意識されるのは、政治であれ経済であれ、あるいは自然環境であれ何であれ、危機状況に直面する時だろう。世界でいま起こりつつある事柄の重要性はここにある。例えば今も記憶に新しい自然災害の数々は、人間の存在そのものに関わる本質的な疑問へとひとを導く。自然災害はその本来の性質からして、まさに人間(したがって政治)の世界と不可分である。わたしたちの暮らす近代の自然環境は、一から十まで人間の手の加わったものになった。現在は歴史的に見ても「架空の」現実と「本物の」現実の境界がぼやけた時代と言うことができる。そこでは想像上の世界と人間が作り上げた実在の世界の見分けがつきにくくなっている。こうした背景の中で、世界中で惨事が増えつづけている。アジアで、アメリカで、そしてある程度までヨーロッパでも事情は変わらない。とりわけ今や誰もその原因を本当には見抜けない経済危機までふくめれば、なおさらである。こうして予知不能な出来事が、日々の正常な暮らしの一部となった。危機感をもたない暮らしは現代生活とは呼びがたいとも言えそうだ。これはつまり、わたしたちは現代を生きていると言うとき、流動的で、断片化された生活を営んでいると認めることにほかならない。わたしたちは「運命」という観念を、「捉えがたく、暮らしのなかでは把握しきれないもの」と見なす。これはつまり絶えず変化し、先の見通しの立たない現状の中で、わたしたちの運命は新たな破壊と創成を通じてつねに変化していることを意味する。そこでは僅かな息継ぎが、再び旅を始める前の若返りのための休息となる。この絶え間ない動きをわたしたちは「旅」と名づけよう。そしてわたしたちは、再び旅立とう。
事情がこうなると、消費に依存した社会の仕組みを褒めるのは退潮になるか、あるいはすっかり沙汰止みになるだろう。それでもわたしたちにはまだ、物事を作り上げる生産的な方法を見つけることができない。生産的な方法はあらかじめどこかに存在しはしないからである。それは運動の過程から発展してくるものであり、見方によっては副産物であり、まず方法論、そして場が創出される。大切なのは、その良し悪しを判断しないことである。それよりも活力に満ちた言葉が求められる。こうした文脈の中で個人が創造性を伸ばすのに適した、より居心地のよい空間に関する配慮もそのひとつ。人々の関心は壮大な物語をひもとくよりも、「様々な種類の空間」のための活気に満ちた模範を創ることに傾いている。そこでは他者同士が共存し、当人自らの解釈と並び立つ。これはごくゆるやかな文脈であり、かならずしも美術作品の生産とじかに関係はしないものの、美術産業や文化産業全般、さらに新しい文脈に置かれた美術の機能について、基本的な質問を数多く提起することはまちがいない。
美術作品の制作と結びつけて予知不能性について語ろうとすれば、どうしても行為に関わらざるをえない。たとえばわたしたちはたんに意図的な行為ばかりでなく、またひとつべつの行為の引き金となる行為も想像することができる。また行為が集団によって担われる場合には、先々なにが起こるのかはっきりと知るのはむずかしい。そこには偶然の作用が内在する。『タイム・クレヴァス』展に参加するアーティストの多くの制作のやり方には、予知不能性があらかじめ組みこまれている。ここでの意図はそうした突発、予知不能性、あるいは行為の生じる瞬間を捉えることにある。誰かが部屋に入ってきて、わたしたちには予測のつかない行動をとる。わたしたちの求める媒介を排した、あるいは予知不能な経験のなにより基本的な意味はここにある。スペインの詩人・戯曲家フェデリコ・ガルシア・ロルカがパフォーマンスのなかに「ドゥエンデ(神がかり)」を見いだし、これを「古い地平に未知の新鮮な感覚をもたらす根源的な形状変化の到来」と説き、「ドゥエンデは決して自らを繰り返さない」と述べたことはよく知られている。ロルカの言うように、「ドゥエンデは霊感の瞬間的な噴出、真に生命あるものの紅潮。演者がある瞬間に創りだす全てのもの」注1である。ロルカの研究家として名高いクリストファー・マウラーは「ミューズ(詩神)や天使にも優って、ドゥエンデは演者ばかりでなく観客でもあり、意識的な努力をほとんどすることなく、芸術が自然発生的に理解される条件を調える」と指摘する。またはロルカ自身のことばによれば、「ドゥエンデは感受性に芸術を注ぎ込むコルクの栓抜きのようなもの」である。詩的感興に満ちた瞬間が、いわゆる美術作品と鑑賞者の分裂を解消する。この種の分裂が解消されるのは、こうした瞬間に限られる。
詩がいくつもの理由から方向性を示す重要な指標となることはまちがいない。美術作品はなぜこれほどまでに高価なのか、そして詩はなぜ対価を必要としないのか。1969年にポントゥス・フルテンがストックホルム近代美術館で企画した「世界を変えよう。だれもが詩を書くべきである」展の思想的な背景には、この問いの影響が色濃くみられる。ちなみにこの展覧会にはオリジナル作品は展示されていない。展覧会を構成したのは複製、ポスター、詩の朗読、アメリカの兵役忌避者やブラックパンサー党のメンバーが登場するイベント、そしてタトリンの設計した塔の模型のなかで行われるフリージャズのセッションである。この展覧会は直接的な政治行動について考えようとする試みであり、今日の美術界を支配する物に対する異常な執着のかけらもそこには見られない。文学の世界は代理人、金銭、打算の渦巻く制度と無縁と信ずるのはおめでたすぎるだろうが、詩が異なる方法で配付され、また詩人にとって制作費はまったく懸念材料にならないという状況は、美術作品の制作と比べて著しい対照を示す。英国の詩人ジェイムズ・フェントンは詩によって詩作の費用を賄ったことは一度としてないと述べた。フェントンは従軍記者となり、その収入で生計を立てた。ブランクーシの作品を売って糊口をしのんだデュシャンと同様である。おかげでフェントンは詩を売らなければならないという心理的圧迫を逃れることができた。
デイヴィッド・ハモンズはこれに対して、詩ではなくジャズ音楽を手本にしていると主張する。ニューヨークのジャズの演奏家のなかには、ダウンタウンのジャズ・クラブからの誘いをあえて断り、成功に対する独自の観点に基づき、地元よりも国際的な舞台での演奏を優先する人々がおり、ハモンズはこうした人々を手本にしようと考える注2。ハモンズは自分が新しい物を創り出したいのはなぜかと問う。ここでもジャズを手本にするとよい答えが見いだせる。ハーレムに腰を据えたままでも、ジャズ演奏家として世界を相手に活動できるのはなぜかとハモンズは問いかける。もちろん音楽産業は存在し、それがここで議論しているなによりもはるかに大きな規模をもつことは周知の事実ではあるけれども、肝心なのは音楽の世界では別の方法も可能だという点である。それにしても、わたしたちが企画するのは、詩の朗読会ではない。詩の朗読でもさしつかえないのに、なぜこれは詩やジャズのフェスティヴァルではないのだろうか。厳密に考えてみるとして、これはなぜパフォーマンス・フェスティヴァルではないのか。どういう形式であれば展覧会として認められ、しかも従来のビエンナーレとは異なる展覧会になりうるか。
最近の大規模な展覧会で日増しに目立つようになっているものがもうひとつある。アートスクールである。なぜモデルとしてアートスクールに関心が高まったのだろうか。理由のひとつは、美術界がすっかり商業化し、単調で面白みのないものに見えはじめたことがある。実験的な創作活動が盛んな魅力的な空間を求めるとしたら、どこだろう。企業の美術館やアートフェア、あるいは世界各地を巡回し莫大な動員が予想される人気の高い展覧会などでないことは言うまでもない。キュレーターがアートスクールに興味を抱くようになったのは、従来の展覧会企画がある種の危機に瀕しているからかもしれない。世界中の文化産業が手当たり次第に商品化を狙って貪欲になる一方の状況にあって、世界中のキュレーターは視野の狭い官僚とマーケティングの専門家たちの圧力から身を逸らし、一息つこうとして必死の努力をつづけている。ビエンナーレが観光と都市のブランド性、そして大量動員の望める派手な見世物とあまりに深く結びついてしまった今、それに替わるモデルがどこかにあってもおかしくない。美術界ではいまだに見せ方、展示法が幅を利かせているのに対して、アートスクールはそれよりもパフォーマンス、そして物作りに高い価値を認める。パフォーマンスを美術の機能を拡大する手段と見れば、美術の意義はそれだけ深まるとロベール・フィリュウは主張する。「教えること、学ぶことがパフォーミング・アートになりうるならば、アーティストはこの移行過程に参加することになり、参加し、予感することが美術になりうるだろう。それでは何に参加するのか? 暇な時間を組織化し、周囲の環境を変化させ、知性の体系を改良する作業に参加しよう。何を予感すればよいのだろうか。知性の体系の改良が済みさえすれば、世界の新たな秩序を予感できるにちがいない」注3。
「タイム・クレヴァス」展の重要な先駆けとして、2006年のテイト・ブリテンでのベアトリクス・ルフによるテイト・トリエンナーレや、2007年マンチェスター国際演劇祭でのハンス・ウルリッヒ・オブリストとフィリップ・パレノの共同企画による「Il Tempo del Positano (郵便配達夫の時間)」展があげられる。テイト・トリエンナーレでは、展覧会入口のあるデュヴィーン・ギャラリーが恒久的なパフォーマンスのための可能性をもつスペースとなった。パブロ・ブロンスタインとセリーヌ・コンドレッリによる建築的な構造とデザインによるこのスペースでは、展覧会の会期のあいだ、集中的なパフォーマンスの予定が組まれた。そして、そうしたパフォーマンスやそのスペースは、展覧会のメインである展示への関連イベントとしてではなく、まさに同等に位置づけられた。マンチェスターでは、すべのアーティストにスペースではなく時間が与えられ、ヴィデオを使わないことが条件とされた。ここで公開された作品は、一、二の例外を除けば、ギャラリーやホワイトキューブ(四角く白い展示空間)に戻されたり、いきなりオークションに出品されることなどありえないもので、作品は時間の枠組みについてのものだった。このことは、横浜トリエンナーレに参加するアーティストの多くにもあてはまる。作品の多くは展覧会の会期中という時間の枠組みの中にのみ存在し、展覧会終了後、ギャラリーに落ち着くとは限らないから。ある意味で、わたしたちは「サイトスペシフィックな(特定の場所で行われる)制作」というより、「サイトスペシフィックな破壊」について語っているのかもしれない。というのは、作品はいったん出来上がってしまえば、それで終わりなのだから。もしかすると、それは、「アートマーケットにいるアーティストたちは、ここでは見せていません」という枠組みを決めるやり方は、言葉遊びのようななぞを解く興味深いやり方かもしれない。つまり、アートマーケットが決してやらない、枠組みを決めることは、現実と平行する現実をつくりあげることでもあるだろうから。
この主張は、ギャラリー・システムに入らない作品は自動的にいいものだと言っているのではない。とは言え、そうならないものがあるという事実は興味深い。マーケットに入らないというこでは、多くの安易な考えが広まっていて、それはらだいたい間違った方向に向かっている。周縁性や否定に基づいたアプローチは(ドクメンタ12のような展覧会はその典型だが)、必ずしも興味深い作品を見分ける基準にはなりえない。アーティストが何を否定するかよりも、何を肯定するかについて考える方がよほど興味深いだろう。そこには例外もいくつかあるだろう。たとえば、否定されたり排除されたものを制作へといかしていくアーティストもいるかもしれない。ただし、これはキュレーターの物の見方とは相容れない。アートマーケットに反対する美術作品で校正される展覧会を行うのは無理がある。数多くのアーティストがアートマーケットに関心を抱く反面、マーケットとはまったく無縁なアーティストたちもいる。したがってこれは判断基準になりえない。今回の展覧会で明確に述べられていることのひとつは、資本いかに信じられないほど変化してきたかにほかならない。つまり、資本は、徐々に増えたり消えてしまうようなとても順応性のあるやり方をつねに見いだすということ。つまり、個人がどのような経路を選んでも、大勢に影響はないのだ。経路の違いを見定めることは、もはや60年代や70年代のような重要性をもたない。当時はアーティストがどのメディアを採用するかによって、良識のあるなしが判定され、それがかれらの立場を明らかにした。しかし、資本が国際化し流動化した今日では、ひとりひとりが、どのように場所を見いだし、つくりあげ、あるいは切り開いていくかという点で大きな変化が生じた。行動を可能にする資源をどこに求めるかが問題なのではなく、それよりも当人がどうありたいか、あるいは何をしたいかに左右される部分が大きいのだ。場所は以前より増え、観客の数も増した。この事実、そして美術がもたらす特殊なコミュニケーションの形態との関係を目の当たりにするとき、わたしたちは新しい種類の美術に遭遇する。たとえばパク・シュウンチュエンのシリーズ作品《待つ》について考えてみよう。作者は建物の前で、内部の照明がすべて消える時を待つ。あるいは地下鉄の駅で友人がやってくるのを、前もって日時を約束せずに、待つ。人生そのものが制作行為になれば、なにかこれまでとはまったく違うことが起こるだろう。人生が芸術に変化しようとする瞬間とのさりげない出会いがそこにある。芸術はこうして日々の暮らしの一部に回帰する。
人生は全体としてひとつのものと見なされるべきであり、社会システムの作用の都合で分割されるべきではない。わたしたちの住まうこの日々の暮らしこそ、アーティストであればたとえつねに先をめざすにしても、留まるべき世界なのである。人生はすでにきわめて劇的である。社会が見世物に変貌する間にも、「サイレント・シアター」のアーティストたちは日々の暮らしを通じて(目に見えない場合でも)パフォーマンスを行ってきた。このような人生体験(あるいはパフォーマンス)はすでに遠い昔から存在しつづけてきた。ソクラテスや老子の時代からニーチェ、カフカの時代までつねにそこにあり、どれかひとつの人生に他のものより高い価値を認めようとする試みに抵抗してきた。見世物が幻影であることを暴露する「人生の真相」をめざして、「サイレント・シアター」のパフォーマンスは、「芸術」と呼ばれる日々の活動をつうじて、人間は実際に孤立を避けることができるという信念を明らかにしているのである。
ここで「政治の時代」と呼べるものに立ち戻ろう。「タイム・クレヴァス」展に参加している若手アーティストたちに目を向けると、時間の経過の中で成立する作品の大半が、かつては「アングラ」とか「サイドウェイズ(寄り道)」と呼ばれたもの、あるいは視覚芸術とはこうしたものという一般的な受けとめ方からあっさり抜け落ちていたものとの結びつきを取り戻していることに気づかされる。この種の結びつきの復活が決して目新しいものでないことは言うまでもない。現在の「政治の時代」は60年代、70年代の対抗文化とは趣を異にする。それは批判を通じた肯定、あるいは相当につむじまがりな危うさを秘めた肯定の非常に興味深い表れである。風変わりな会場で行われる音楽イベントなどであれば、なんでも「アングラ」であるとか、美術界のシステムの外側で成り立つ行為と見なすことはできない。そのように考えることはもはや不可能になった。アンダーグラウンドは大衆化の進む文化界で、すでに一人前の地位を確立した。今日行われているパフォーマンスや一定の時間を区切って存在する作品についても、同じことが言える。それらも美術界とすっかり意気投合した。そうした作品の取り扱い方、完成して間もなく姿を消すような類の作品との付き合い方、またそうしたものの持つ意義に関する知識にはすでに事欠かない。今日では美術界に関わるひとであればだれでも、コンセプチュアル・アート作品、ということは物として存在しない作品でも見上げるような彫刻や、油絵の大作に引けをとらない商品価値があることをよく知っている。これはパフォーマンスにも通用する。とはいえ、若い世代の間には、それとつかずはなれずやってゆくことも可能であり、ネットワークと仲間との共同作業によって既成のシステムから独立した組織を作ることも夢ではなく、作品の配付に有効な新しいメディアは従来とは異なる「オフ(傍流)」やサブカルチャーを可能にするという考え方が強く根を張っている。そうなれば社会的な活動がそのまま作品制作になりうるし、それも80年代や90年代初期のコンテキスト・アートのような意味合いではなく、だれが美術作品をコントロールし、制作をコントロールするのかという課題と正面から向き合うこともできる。美術をたんに経験するだけでなく、世の中に行き渡らせるための仕組みとして、美術のシステム以外のものに頼ることはできるか、また今の時点でそれはどのようなものでありうるのだろうか。ここで本当に興味深いのは出会いが枠組みによって定められる点、社会的な相互交流・相互作用が作品制作と見なされる地点である。わたしたちが「タイム・クレヴァス」展のために選んだアーティストたちは、決して意図的に主流から遠ざかろうとしたり、そこにいないことがさも重要でもあるかのように言い募ったりする人々、あるいは根っからのアウトサイダーではない。かれらは肯定することを恐れない。「ゲームの規則」でわたしたちが試みたのは、パフォーマンスが一定の時間の経過の中に存在し、しかもなにかしらの痕跡を残すという条件をつけたことである。それは必ずしも、身体がそこに在ることに殊更に高い意義を見いだす従来の「パフォーマンス・アート」である必要はない。そうであってもさしつかえないが、後に残る物、あるいは展覧会の場により安定した状態で残るものとの関係も、それに劣らず重要である。わたしたちはこうした特別な規則が、新しい種類の作品を生み出す引き金となるように希望する。なぜなら、できあいの形のある作品をただ送りつけることはできなくなるからである。芸術的な創作行為の多くが、日々の暮らしの営みと共に進展し、その中の一部として組みこまれるに至っている。したがって形式が問題として浮上する。創作行為のなかには、具体的な、物として目に見えるかたちの結果を生じないものもある。行為の終わりになにかしら形のあるものができるとは限らない。また実際、それは当初からの目的でもなくなる。アーティストたちはそれとは異なる、なにかほかのものを探し求めている。こうしたアプローチの数々を、非常な消耗という付随する難題もふくめて、大きなアート・イベントの文脈にどう位置づければよいのだろう。
そこでふたたび「ゲームの規則」の出番がやってくる。私たちは、アーティストたちに、自分たちがトリエンナーレ会場にいる三日間のあいだのみ観客がそれを体験できるという時間の枠組みに沿ってパフォーマンスをするよう求めているだけではない。彼らには、空間を構成することも頼んでいる。たとえばケリス・ウィン・エヴァンスがスロビング・グリッスルとの共作をしつらえる空間には「超指向性スピーカー」が設置される。この装置によって生み出されるパフォーマンス空間は、鑑賞者にとってもつねに変化して二度として同じ性質をもたない特殊な環境を形成する。鑑賞者は移動することによって作品を構成し、鑑賞者が作品となるのである。
パフォーマンスとその記録とのあいだのこうした緊張関係のなかで大きな意味をもつのが、パフォーマンスに関わるオブジェ、あるいは「パフォーマンス性をもつオブジェ」であり、これはロバート・モリス、マイク・ケリー、あるいはポール・マッカーシー等の作品に見受けられる。これはは、単なる映像記録であるという以上に、展覧会のために展開するインスタレーションはある程度パフォーマンス性をもつものであると意義をもつ。わたしたちはアーティストに記録を展示することは避けるよう求めた。というのは、記録は実際の作品制作に立ち返るものである反面、歴史的な事実にも言及する。それは過去にパフォーマンスとして行われ、それが後にヴィデオとして知られるようになったもののことだが。こうしたことはすでに周知の状況であり、パフォーマンスは記録より重要とみなされるはするが、とりたてて興味深いことではない。また、制作過程を強調することもできる。たとえば家を建てれば、家を見ることができる。建築や彫刻は通常、最終的な仕上がりを重視するが、家を建てることが面白いのだと主張することもできる。しかし、わたしたちにとって、展覧会への経過を見せるだけではやはり十分でない。作品がどう設営されるかに感心があるなら、公開の日程を三日早めれば良いだけだ。ここで試みているのは、たとえばヨナタン・ミーゼあるいはヨン・ボックの作品にあるように、制作される過程をそのものの一部としてみるということであり、それは最終的な作品と同等の重要性をもつということである。それは、たいてい並行して行われる。つまり、アーティストが行うさまざまな作業の一部を成し、なにが先に来るといったような順序だったものではない。パフォーマンス後に残されたオブジェや小道具でもなければ、映像や写真として記録されたパフォーマンスでもない。それは同時かつ、同等の重要性をもつ行為としてのハプニングなのだ。そのことがまた、わたしたちを、動きを持ったり、パフォーマンス性をもつオブジェへと連れ戻してくれる。「タイム・クレヴァス」展には、こうしたものの神話を意識して制作活動を行い、それがいったい選択肢でありうるのかを問おうとするアーティストも数多く参加している。実際、何が選択肢なのかということこそが疑問の目的なのだ。もしアーティストが事前にパフォーマンスをしたと知っていたら、インスタレーションの受けとめ方に変化が生じるだろうか。もしアーティストが作家だったり、音楽家、詩人、あるいは歌手でもあると知ったら、美術作品についての理解は変化するのだろうか。迫力がなくなったり活気づいたりするように変化しても、作品のオーラは保たれるのだろうか。パフォーマンス性をもつ作品とは逆説的なものかもしれない。枠組みによってもこれを完全に解決するはできないし、また、解決することが枠組みの役割でもない。私たちは、この問題に対する新しい解決法の引き金となる構造を処方するのだ。このような二部構成の展覧会、あるいは連続的に起きていく展覧会では、興味深い緊張状態が生じる。そしてそこには多様な方向に道を開く、あるいは開く可能性が秘められている。
先例や主な参考事例は展覧会のなかで資料篇、あるいは「砲台ルーム」に展示されている。これで歴史が概観できるわけではないが、今回のプロジェクトを歴史的な背景に位置づけてより理解しやすくする試みである。ポーランド出身で「貧しい芝居」をめざすマニフェストを実地に移し、伝説的な「実験劇場」を主宰したイェルジ・グロトウスキーに一言触れないわけにはいかない。この10年から15年に現代美術作品の制作費はとめどなく上昇を続けており、フィルム作品ではとくにこの傾向が著しい。この問題には世代によって表れ方が異なるという部分もある。ジョーン・ジョナス等のアーティストの場合にはまずパフォーマンスによる試みについて論じ、制作に関する予算は二の次に扱われる。現代のアーティストの作品制作に要する費用の膨大さはじつに驚くべき額に達し、またそれがなければかれらは作品を作ることができない。横浜トリエンナーレはそうした巨額の予算を提供する類のものではない。美術界に生じたこのような事情の変化に照らしてみると、グロトフスキーの「実験劇場」はいっそう興味深いものとなるだろう。なぜならそれは「実験」を試み、容易に利用可能なもの、まずなによりごく身近にあるもの、つまり時間と肉体を用い、つづいて周囲にあるあれこれを活用したが、どれもこれも予め製作しなければならないこともなく、現場で大がかりな作業を要するといった意味での見世物的な要素はかならずしも含まない。「Theater without theater (劇場のない演劇)」展では「遂行対象」が探究された。ロサンゼルスで披露された「Out of Action (行為の外へ)」展では、パフォーマンスの歴史を振り返った注4。日本に目を向けても、具体派が重要な役割を果たしたことは言うまでもないが、参加したメンバーのほぼ全員がすでに他界した今となっては、作品も資料の形で提示するほか術がない。舞踏の先駆けとなった土方巽の営為も、資料の一部として展示した。土方にじかに連なるのは田中泯であり、やや方向性は異なるが灰野敬二もパフォーマンスと音響の間を震動する実験的なアクションによって、これに続いてる。こうした線をたどってゆくとヘルマン・ニッチュの「アクショニスム」、そしてヨゼフ・ボイスのパフォーマンスも視野に入り、ヨーロッパの美術史との様々なつながりもまた明らかになるだろう。これらが手本になるとすれば、それは「砲台」あるいは霊感に富む瞬間を提供したからであり、完結への衝動によるものではない。「タイムクレヴァス/じかんの裂け目」展は過去のさまざまな動向の相互関連を明らかにする展示作品を寄せ集めることよりも、いま目の前を流れている時間、つまり現在をあつかおうとする。