第5回
テーマ:理解講座「難民?避難民?」
日程:10月9日(月・祝)
協力:福島県立博物館、AAR Japan[難民を助ける会]
講師:
穗積武寛(AAR Japan[難民を助ける会]プログラム・マネージャー)
川延安直(福島県立博物館専門学芸員)
小林めぐみ(福島県立博物館主任学芸員)
吉田邦吉(ヴェルガイスト・フクシマ編集長)
*
第5回目の理解講座では、AAR Japan[難民を助ける会]のメンバーと、福島で文化を通じた震災復興に携わられてきた方々を迎えて、「故郷を離れての生活を強いられること」について考えました。
穗積武寛さん
AARからはまず、シリア難民問題の現状について、報告していただきました。ニュースを見ていると、ヨーロッパ諸国が大半のシリア難民を受け入れているようにも聞こえてきますが、実際はトルコ、ヨルダン、レバノンなどの周辺国がその大部分を受け入れているそうです。
いわゆる「難民船」に乗っている人の中には、国際条約で定義される「難民」ばかりではなく、ヨーロッパで仕事を得る目的で乗り合わせている人なども紛れており、その線引きは簡単ではないことも明かされました。日本政府は、難民申請者の証拠書類などを厳密に調査確認しており、認定プロセスに長い時間がかかっています。最終的に難民として認定される人の数は極めて少ないのが現状です。ちなみにAARは、東日本大震災以降、仙台に事務所を置き、福島県内の障がい者施設の支援などを継続しています。
吉田邦吉さん
続いて、福島県立博物館の方々が聞き手となって、東日本大震災後の吉田さんの体験を共有していただきました。
吉田さんは、東京電力福島第一原子力発電所事故の発生地となった大熊町のご出身ですが、同地は2011年4月に、立ち入りが全面禁止される警戒区域に指定され、現在も帰宅困難な地域となっています。吉田さんには、被災直後に体育館に逃げられたこと、その後に仮設住宅に移られたことや、被災者としてハワイに招かれて滞在された経験などをお話しいただきました。
一口に「避難民」と言っても、強制避難と自主避難の人では、政府からの生活支援の在り方が全く異なり、そこには見えない壁があり、お互いコミュニケーションを取ることの難しさも存在するようです。
川延安直さん(右)、小林めぐみさん(左)
川延さんと小林さんは、会津を拠点として、2012年以降、復興につながる文化活動の支援を行うとともに、震災・事故の記憶の作品化やそれらの発信・交流事業を行う「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」の立ち上げから関わられています。福島県は広く、浜通り、中通り、会津地方はそれぞれ異なる文化圏であると言います。
そのうち会津は、震災や原発事故の被害が比較的少なく、福島県の他の地区から避難民を受け入れる立場にあります。そのため、避難をする側とそれを受け入れる側の間にも、時として微妙な心情の壁が生じることも報告から伝わってきました。このように、特に原発事故以降、多層の見えないレイヤーによって分断が生じているかのようにも思える福島ですが、たとえばそこでお祭りなどの文化事業を行うことは、それぞれの文化を理解し合うきっかけになるとのことでした。
AARと福島、いずれの報告からも、文化背景が異なる多数の人が、あるコミュニティに押し寄せたとき、受け入れ側に生じる不安な感情や、それにより生じる軋轢が感じられました。
穂積さんによれば、難民支援の現場では現在、難民自身だけでなく、受け入れ側のコミュニティに対する支援も行うことが重要視されるようになってきているそうです。そして、いずれの問題においても、そうした軋轢を解消するためには、顔が見えない他者の集団として接し合うのではなく、個人個人の顔が見える交流を行うことの大切さが示されました。
そして芸術文化が、そうした交流を生み出すひとつの有効な手立てとして機能する可能性についても議論されました。
*撮影:田中雄一郎
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