ヨコハマトリエンナーレ2014
アーティスティック・ディレクター
森村泰昌
トラックなのに、ゴシック様式の教会のよう。誰もが好きなことば「LOVE」なのに、なんともたよりなくゆがんでいる。
デルボアもギムホンソックも、巨大なモニュメントでありながら、モニュメントの骨抜きを企てる。空間や人の心をその迫力によって支配しようとするモニュメント志向に、いたずらな仕掛けをして、アンモニュメンタルなモニュメントという、なんとも壮大な矛盾を創出する。
なにかが創り出されるとき、なにかが忘れられる。使われなかった大量の材料、見せないまましまい込まれた失敗作の数々、排出したゴミの山。それらは、完成作が美術館にうやうやしく展示されるやいなや、まるでこの世には存在していなかったかのように、人目を忍び忘却の海へ、漂流の旅に出る。
人類が築きあげてきた芸術の創造の歴史、それよりもはるかに大量の忘却があり、ほんとうは、その忘却の重みこそが、美術史の本体となる。いざ、忘却へ。いざ、ゴミ箱へ。
黙っているものは情報化されずに忘れられていく。ささやきも耳をそばだてないと聞こえてこない。 しかし「沈黙」や「ささやき」には、饒舌や演説を凌駕する重みや強度が隠されている。 その重みや強度が芸術になる。
日本の戦後の高度成長を支える労働力を供給し続け、しかしその成長の停止とともに置き去りにされた町、釜ヶ崎。
「釜ヶ崎芸術大学」(通称「釜芸」)は、高齢化、医療、就労、住居、生と死等々、多くの問題を抱えた釜ヶ崎に、「表現」行為を通じて関わるべく立ちあげられた。
今夏、「釜芸」が横浜に漂着する。釜ヶ崎が発信する感覚、まなざし、生きる姿勢が、どんな「夏の教室」になっていくのか。それは、やってみないとわからない。
人類の歴史に繰り返し登場する、思想統制という強制的になにものかが抹殺される悲劇。
それらを批判したり糾弾したりすることが、ここでの目的ではない。
かつてあった、あるいは今もどこかで起こっているそうした悲劇が、ほかならぬ私自身の今を映し出す鏡となりはしないか。「おまえはどうなの」と私に私自身を振りかえらせる手がかりとなりはしないか。
芸術家は、理由もなくいきなり社会や宇宙と格闘しはじめる。
たった独りで立ちむかうこの重労働は、生きる衝動の純粋なあらわれなのだが、無意味で無用な徒労のようにも見える。だからそれは、役立つことを求める価値観から離脱して、忘却の海に出ることになる。そしていかなる風にもなびかず、孤独な光を放ちつづける。
さながらそれは、聖人が粗末な衣服を身につけていても、頭の背後にともるかすかな光輪によって、はっきりと見分けがつく、あれと同じ質の輝きである。
(第5話についての個人的な覚え書き)
テニスコートから法廷へ。
法廷から監獄へ。
コートの中央に張られたネットをはさみ向きあう選手と、それを見守る審判。この登場人物が、被告と原告と裁判官へと置きかわり、やがて法廷は監獄への道を準備する。
これは、一見シンプルに感じられる変容のプロセスだが、しかし足を踏みいれたとたん、私の脳と身体は真っ白になる。というのも、視覚にはいるのはイスや柵やネットという、いたって具体的なイメージなのに、それらにはどんな意味も付与されておらず、全体が、誰もがいかようにも入り込める多孔質でできあがっているからである。
巨大だが空気のように軽く、なんいうか異常な重力を感じつつ浮遊感を味わうというような、ある種のめまい、ある種の吐き気、ある種の恐怖、それでいて確実にある種の誘惑がある。
これは作品と呼べるだろうか。からっぽなのに、思い入れ次第では本物の船や戦車や飛行機にもまさる実感をともなう、巨大な観念のプラモデル。
ちなみにこの仮構物の作者名は空欄になっている。無記名というよりは、作者欄が非人称になっている。
「雨がふる」のは、「I=私」でも「you=あなた」でもなく、「It=それ/It is raining」であるように、ここでのできごとは、特定の誰かの指示によるものではない。
作品とは、特定の作者である「私」の制作物を意味するが、もしこの「私」というものが私自身の専有物ではなく、無数の他者、無数の歴史、無数の言葉、無数の数式や確率や情報等々によって形成された偶然性の賜物であるとしたら、特定の名前を持つ「私」に与えられた固有性は、その根拠を失ってしまうだろう。
この巨大な観念のプラモデルを作り出したのは、誰でもなく、また誰でもありえた。誰もが共犯者なのだと言うべきか。
人間はおとなになることと引きかえに、幼年期の記憶を捨てなければならない。ところが、この幼年期の記憶に深くとらわれて、前に進めなくなってしまった人々がいる。その典型が芸術家である。芸術家とは、おとなになりそこねた子供なのである。おとなになって忘れてしまった、私たち人間の生まれいずる源へと帰郷する旅。それは私たちが、おそるべき子供たちの独り芝居に巻きこまれる、試練への誘惑でもある。
なにごとも忘れてしまったら、私たちはそのことについて、語ることも、見ることも、知ることも、もはや出来なくなってしまう。だから「忘却」とは、つかみとることが不可能な、永遠に逃れ去る憧れのようなものである。
しかし「忘却」の実体には追いつけなくとも、かつてそこにあったはずの「忘却」の面影、「忘却」が立ち去ったあとに残るかぐわしき「忘却の光芒」なら感じとることができるだろう。
高山明の「演劇」は、演劇による演劇の剥奪である。劇場や舞台、あるいは役者と観客の役割分担といった、演劇には当然とされる必要アイテムをことごとくリストラし、あらためて無名の漂流物としてそれらをかき寄せる。
高山をそういう手のこんだ手法に走らせるものとはなんなのか。それは、演劇に期待されている、祝祭的な感動がもたらす有無を言わせぬ一体感への、危機意識である。
熱狂した人々がひとつの感動のかたまりとなってメイクドラマに酔いしれるとき、高山はその熱気からそっと離れ、冷めた熱狂とでもいうべき批評精神の船舵をとり、忘却の海へと旅立っていく。
トヨダヒトシは、リヴァーサルフィルムによるスライドショーを表現の場と定め、印画紙という物質にイメージを定住させることを拒む。現れたかと思えば消え、消えたかと思えば現れる光の断章の集積。それらは、私たちを光の明滅としてのイメージが漂流する海へといざない、深い沈黙のまっただなかに置き去りにする。
さまざまな方角から流れついたさまざまな漂流物が、一瞬同じ時間と場所を共有し、やがてまた思い思いの方角へと散っていく。人の営みも展覧会も、同じく、そのような漂流物の遭遇と別離としてとらえてみたらどうだろうか。
ほぼ同時期に開催される「札幌国際芸術祭」、「福岡アジア美術トリエンナーレ」、「横浜トリエンナーレ」の三者が遭遇し、乗り入れ状態となる。今見ているのはどの国際展なのか、観客は一瞬わからなくなるかもしれないが、風穴があいていたほうが、新鮮な空気も舞い込み、視界もずっとよくなるにちがいない。
すべてを見終わった旅人(観客)が、最後に目にするのは、茫漠たる忘却の海。
沈黙、ささやき、死(と生)、無、カオス、帰郷、光・・・。記憶や情報がおよびもつかない深くて広い海。
旅人はこの忘却の海へと漂流する。それは、それぞれの到達点を探し出すための、それぞれの旅立ちでもある